アンネの木

 Googleアンネの日記になっていた。
 高校に入学したばかりの頃、入学式の1日前に、プレ入学みたいな1日があった。招集されたのは私を含めた6〜7人くらいで、どうやら中学で不登校気味だったメンバーが集められたらしかった。無口な女の子(そのあとすぐ来なくなった)と、面倒くさい男の子(深夜になるとタイムラインに闇投稿を連投していた)がいたことは覚えているが、他にいたのが誰であったか(そもそも同じクラスのメンバーではなかった気がするが)は、あんまり覚えていない。不思議な1日だった。「ここは怖いところじゃないですよ」という学校側の配慮だったのだろうと今では思えるが、案内は非常にぎこちなかったし、「今日はこういう趣旨で来てもらいました」というわかりやすい説明もなかった。私は学校や集団が怖くて学校に行かなくなったわけではなかったので、なおのこと白けていた。

 その日の帰りに、知らない男性教師(たしかスキンヘッドだった)が、はじめましての挨拶すらなく、私に話しかけて来た。アンネの日記って知ってる?と。私が、名前くらいは、と控えめに答えると、男性教師は私を中庭へ案内し、そこにある一本の木をみせてくれた。正確には、そのときはまだ木にすらなっておらず、木になる予定の苗が、芽を出して少し育ったような状態だった。男性教師が植えたのだったかどうかは覚えていないが、そういう口ぶりだった気がする。これはアンネの日記に出てくる木なんだというようなことを説明された。苗の麓には、品種について書かれたカードと一緒に、アンネ・フランクと思しき女の子の白黒写真、それに彼女の生い立ちが簡易的に書いてあるカードも刺さっていた。当時の私は心の中で「アンネの日記赤毛のアン、シリアスなのはどっちなんだっけ?」と考えていたくらい、アンネの日記のこともホロコーストのことも知らなかったので、そのカードを見て理解した。

 そうして、しばらく沈黙が続いた。3月といえども、まだ風が冷たくて寒かった。教師は何やら神妙な面持ちで、ただ黙って木を見ていた。私は会ったばかりの見知らぬ教師の意図が読めず、やや困惑していたが、なんとなく受け取るふりだけはしていた。そうしないと失礼な気がした。内心は早く帰りたかった。新品の硬い制服も、人のいない校舎も、なんだかよそよそしくて侘しかったのだ。

 あの教師を見たのはあれきりだ。もしかしたら、何度かすれ違って挨拶くらいはしたかもしれない。そんな気もする。でもともかく、記憶に残る出来事は、アンネの日記の会話くらいしかない。何の教科の担当だったのか、そもそも勉強を教える先生だったのかどうかもわからない。養護教諭とか、用務員さんとかだったかもしれない。
 でもあの時間のことを、なぜかずっと覚えている。別にいい思い出だからじゃなく、単純に変な時間だったからだ。

 今思えばあの男性教師は、私を枠のようなものから連れ出そうとしてくれていたのかもしれない。私が妙にくっきりとあの出来事を覚えているのは、あれが授業中でも部活中でもない、定形外の時間に生まれた会話だったからだ。

 枠に収めよう収めようとする社会の中で、子どもを枠から連れ出してくれる大人は善い大人だと思う。善い大人って、もしかするとその辺にいたのかも。子どもの私が思うよりは、もうちょっとたくさんいたのかも。思い出して、そんな風に思った。

 アンネの木は、私が高校を出る頃にはもうかなり成長していて、小ぶりながらも立派に葉っぱを揺らしていた。