バターなど落としていたら

 十一月八日(信じられない)、朝はもう冬のようだ。午前8時頃、カーテンから漏れ出る光で目が覚めたけれど、相変わらず何にもやることがない私は迷わず二度寝した。この頃の朝はいつもこんな風で、迫り来る一日のはじまりから逃げるように、何度も何度も眠りなおしてしまう。

 三度目の眠りで夢をみた。それは昨夜にもみた悪夢で、であるから私は、起きてからもしばらくその夢について考えなければならなかった。夢には父と母、それに母方の祖父母がでてきた。夢の中の私はティーンエイジャーで、安っぽいハート柄のパジャマを着ていた。浅く繰り返す眠りの中で見た夢ほど、余韻から抜け出すのには時間がかかる。

 

 夢について考えるのにも飽きた頃、せめて今からでも人間らしい生活をスタートさせなければと思い、なお憂鬱な気持ちを引きずりながら、今やほぼ食糧庫のようになっている玄関クローゼット(そこには元気な頃に買い置きしたさまざまな食材が置いてあって、行けば何かしらの食べ物を見つけ出すことができる。)を開けると、数ヶ月前にいくつか買っておいて一度も食べていない袋ラーメンと目が合った。それまで気分ではなくても、目が合うとなんとなく食べたくなってしまう食べ物がある。ラーメンは私にとってのそれだった。

 片手鍋に水を張りながら思った。そういえば、実家を出てから袋ラーメンを食べるのは、はじめてなんじゃないかしら。少し胸が躍った。一人暮らしも5年目を迎えようとしている今、家の中で起きるお楽しみやトラブルは一通り経験してしまっているので、はじめてのことに出会うとちょっとうれしいのだ。お楽しみでもトラブルでも。それが、袋ラーメンをはじめて作った、くらいの小さなことでも。(退屈は人生の敵だから。)

 茹で上がるのを待つ三分の間に、好きな作家の新刊を調べた。新刊は見つからなかったけれど、数ヶ月前にラジオに出演(!)していたことがわかった。私は歓喜して、やや急いでアーカイブを探した。私の好きな作家はSNSをやらないし、メディアへの露出も極端に少ない(というか、作品の外であまり多くを語らない)ので、こういうことは貴重なのだ。久しぶりに彼女の真あたらしい言葉が聴けるのだと思うと、気が急いた。

 アーカイブは無事見つかった。(ありがたいことに無料で公開されていた。)ラジオを聴きながら、茹で上がったばかりの塩ラーメンにバターなど落としていたら、いつの間にか夢での憂鬱などすっかりどうでもよくなっていた。

 窓の外は薄寒げに曇り、部屋にはラーメンの白い湯気がほわほわと広がった。私は湯気の中に顔をつっこみ、すん、と一息吸ってみた。塩気のあるスープにバターが溶けた、コクのある匂いがした。幸福だ、と思った。なんにも解決していないけれど、とっても幸福だ。単純にそう思った。