私の住所を知っている人

 贈り物をしたいからと、友人に住所を聞かれた。「この間はありがとう。贈り物をしたいから、差し支えなければ住所を教えてもらえない?」まるで大人みたいな、いや彼は立派な大人なのだけれど、サラッとした爽やかな文面だった。彼の歳の重ね方を、心の持ち方を、私は心底好ましく思う。そして、贈り物のために住所を聞かれるというのは、なんとも心の温まるイベントだった。

 彼は一度うちへ遊びに来たことがある。でも住所は知らないのだ。そう思うと不思議な気持ちになったけど、大人になってからの友達ってみーんなそうかもしれない。私は年賀状のやりとりもしていないので、私の住所を知っている人って、きっとほんとうにごく僅かなんだろう。どうしてと言われたらよくわからないのだけれど、私は、彼が私の住所を知ってくれたことが、なんだかやけにうれしかった。この小さな小さな部屋の中で、日々悩んだり幸せだったりを繰り返しながら生活する私の存在を、知ってくれている人が地球上にひとり増えたという事実に、少し胸がいっぱいになったのかもしれない。大袈裟かもしれないけど、たまにこういうことを思う。私が今、ここに生きているということを知ってくれている人がいるだけで頑張れる。そういう時があるのだ。

 生活は続いている。相変わらずなところもあるけど、ちゃんと変われたところもある。今年は具体的にいきたい。身体を動かして、なるべくなら人に会いたい。集まりに参加したり。そして、落ち着いたら植物を育てたい。決断すべきタイミングを逃したくない。以上。