へいじつのぼうけん

 平日、私の冒険先は本屋と喫茶店だ。本屋で文庫本を買い、喫茶店でそれを読むというごくシンプルなものだけれど、たまにやると本当に元気がでる。このとき、手に取る本はなるべくなら普段読まない作家のものがいい。普段から親しんでいる作家の文章では冒険にならないからだ。苛烈か、もしくは奇天烈な話ばかりが集められた短編集だとなおいい。喫茶店は煙草が吸えて素っ気ない店ならどこでもよく、数年前なら探すのは容易だったが、この頃は吸える店自体が少なくなっているので、行き先は絞られつつある。

 今日手に取ったのはやや破廉恥な短編集で、帯には芸人の友近の顔があった。タイトルに見憶えがあったのは、前に官能小説に興味を持ったとき、調べた中に見たような気がしたからだ。その場で数ページ読んでみると、リズムよく滑らかな文章にあっという間に吸い寄せられた。いわゆる官能小説というよりかはもう少しフランクな類のものだったけれど、それにしても一般的な小説に比べて濡れ場の描写は多く、どの編も性にまつわるあれこれがテーマであるらしかった。レジはめずらしく混んでいたけど、みんな本があるので構わないという風だった。私も前の人たちに倣い、本を開いて順番を待った。

 喫茶店は全体的に空いていた。分煙のその店は昔は全席喫煙が可能で、一時は禁煙にもなっていたけれど、客足が遠のいたのか次に通りかかったときには分煙に戻っていた。特段珈琲が美味しいわけでも座り心地が良いわけでもないのだけれど、そういう素直さというか実直さがなんとなく心地よく、近くに用事があるとたまに寄っている。そして何より、この店の喫煙席はいつも程よく空いていて、全体的に可も不可もなく、読書に向いているのだった。

 小説には何人もの男や女が出てきて、その心身は美しかったり醜かったりと様々だったが、情事の中での肉体はみな同様に艶かしく、生命力に満ちていた。初老の男も若い女も、ほんとうにみな同様に。それが作者の意図するところなのか、それとも単なる私の感想なのかはわからないけれど、読みながら、私は最近サボり気味になっている自分のダイエットに思いを馳せていた。チープな感想だと思われるかもしれないが、しなやかに動く肉体たちを前に、自分もそんな肉体を持ちたいと素直に感じたのだ。それは別に、必ずしもセックスのためではなくても。

 帰って久しぶりにSwitchを起動し、フィットボクシングをつけた。続けていた頃には1時間でもやれたデイリーメニューは、20分もやると動けなくなって、諦めて今これを書いている。明日は30分できたらいいと思う。

 そういえば、幼い私を物語の面白さに引きこんだのは「おしいれのぼうけん」という児童書だった。文字が多いからか園の貸出図書では不人気だったけれど、人形劇などでみんなから親しまれている物語の一つだった。今でも本屋の絵本コーナーで見かけるとうれしくなる。私が冒険という言葉を愛好しているのは、この本の影響によるところが大きい気がする。