水商売に向いている女なんていない

 しばらく元気がなかったけど、少しずつ回復してきた。すももが食べたい。いま私に必要な食べものはフルーツだという気がすごくする。今日、ツイッターの人が投稿している写真にカンパニュラが映り込んでいるのをみた。まだ売っているかはわからないけれど、ひと束買って飾りたい。私は釣鐘状の花が好きだ。

 この間、着飾ってお酒を飲んでお喋りをする場所で深夜働いた。以前にもっとカジュアルな店で一瞬だけ働いていたことがあった。(数時間で自分には無理だと悟り、その日のうちに辞めてしまった。)時が経ちもう一度やってみたいと思ったのは、今しかできないと思ったからだった。1年後よりも(たぶん)自由の身である今なら、飛び込んでみてもいいんじゃないか。人と話すのは好きだし、美しくなれるんじゃないかという期待もあった。

店には色々な女の子がいた。みんな比較的若く、私と同い年の子もたくさんいて、派手な顔立ちをした子もいれば素朴な空気感を持つ子もいた。在籍が長い人を見ていると、みな同様に所作がきれいで気配りが細かく、何より会話が上手だった。話しかけたいと思える雰囲気を纏っていて、初対面の私に対してでさえ、可愛く優しくユーモアを待って接してくれた。魅力的な人々だった。

 驚いたのは、お酒に弱い私がいくら飲んでも全く酔わなかったことだ。会話やグラス周りの仕事に夢中で、お酒に酔う隙なんてなかったのだと思う。ナイトワークは肉体労働であると同時に、頭脳労働でもあるのだと思い知らされた。昼間の仕事よりもずっと頭を使った気がした。体内には酔うに十分なアルコールが入っているのに酔っていないという状態はなんとなく落ち着かなくて、帰ってから少しだけお酒を飲んだら普通に酔っ払ってしまった。

 固まったヘアセットを解きながら、またしても私は、私ってお水に向いていない...とへこたれた。でもじゃあ、お水に向いているってなんだろうとも思った。美しいことだろうか。明るいことだろうか。それだけじゃやっていけないように、私には見えた。ああいう場所でお金を使っている人たちは、毎晩何人もの女の子から名刺を渡されている。覚えてもらうだけで一苦労なのだ。他人が近寄りやすい隙をみせたり、仲良くなりたいと思ってもらうことって結構難しい。営業が苦手な私はたった一晩でどっと疲れてしまった。

 

 私は会話と人間が好きだ。でも、基本的人権が確保されている状態でする会話と、頑張らないと基本的人権が確保されない状態でする会話は全然違う。9割の席では、頑張らないと基本的人権さえ確保されないように感じられた。尊重し、物ではなく人として見てもらえるという当たり前の権利は、商品である私たちには簡単に与えられないのだった。

 たぶん、水商売に向いている女なんていない。あの仕事は、たとえお酒と会話と人間が好きでも、客層が良い店に入ったとしても、絶対に"座って笑っているだけでいい、誰にでもできる簡単なお仕事"なんかじゃない。お酒の席で働いている人たちには今後一生頭が上がらないと思った。

 もう少し続けてみようと思う。大切なものを失いそうになったら辞めるつもりだけれど、そうでない限り、それまではやってみる。私にないものが身につく気がする。高い美意識か営業力か、度胸か強い肝臓か、それがなんだかはわからないけれど。